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なんでもできる平均人(ジェネラリスト)より、これが強みだというプロフェッショナルを目指せ! プロの自分をつくる極意を伝授。 成長を続けるための「心・技・体」入門。

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プロフェッショナルの心得1.使命観、続き「命の使いみちを考える」



朝に道を聞かば、

夕べに死すとも可なり。

孔子



前回に引き続き、使命観について考えてゆきます。

使命とは、読んで字の如く、命の使いみちです。
何のために生まれ、何のために生きているのかと
自分自身に問い掛けると、色々な答えが浮かんできます。

例えば、自分のため、家族の幸せためという利己の思いもあります。
また、同時に何か、世のため、人のために役に立ちたいという、
利他の思いもあります。
どれも正解であろうと思います。
しかし、これをさらに突き詰めて考えると、
こういう問いになります。

『もし、あなたが「明日、死ぬ」と宣告されたら、
今日という一日を、どのように生きるのでしょうか?』

明日はない。
もし、そうだとしたら、一体何に、この命を使うのか?
これこそ究極の命の使いみちです。

しかし、今晩眠りについて、
明日の朝には二度と起きることがなくなるだろうなどと、
考えている人はいません。

しかし、それは、自分では決められないことであり、
現実に起こりうることです。
私たちは明日のことはどうなるかわからないのです。

そう考えると、人間はいつかは亡くなるわけで、
それが明日なのかもしれないのです。
そうであれば、この限られた時間の中で、
本当に時間を大切に、出会いを大切にし、
いかに全力で生きるかということを
もっと考える必要があるのではないでしょうか。

孔子は、

『朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。』

と言っていますが、日々自分自身と向き合って、
今日一日をどう生きるか、
どう働くかと覚悟を決めて過ごさなければ、
このような心境には決して到達することは出来ないと思います。

何のために、誰のために、この一日、
この命を使えばよいのだろうか。

それを常に問いかけながら、
目の前の仕事に取り組み続けることから、
私たちは、自分の使命というものが、見出せるのかも知れません。

そして、一日が終わり、眠りにつく時に、
今日、自分は、二度と戻らぬこの一日を、
精一杯に生き抜たのだろうか、
と問いかけた時に、
確かに、精一杯生き抜いた、
と言えるような生き方が出来れば、
本当に大切な命を上手に使い、
幸せな一日を過ごしたのだと思うのです。



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| プロフェッショナルの心:使命観 | 14:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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プロフェッショナルの心得1. 使命観 『プロフェッショナルの命の使いみち 』

黄金律

自分が相手にして欲しいと思うことを

相手にもしなさい。



私の周りで働いている仲間たちは、
皆他社からの転職組で、その動機や目的は様々ですが、
共通することがあります。

それは、具体的な形で人のために役立ちたい、
世の中に貢献したいという気持ちを強く持っていることです。

私たちの『生命保険』というビジネスは、
残念ながら一般的にあまり歓迎されない職業の
ひとつとなっています。
これは私の海外経験からも、世界共通であるという印象です。

おそらく、このビジネスに携わっている人の印象
やイメージが良くないこと、
保険は人の生死に関わるビジネスであるからだと思います。

本来、人間は自分の得にならないものにお金はかけたくない
という修正があるそうです。
確かに、預金、投信などの金融商品は、
必ず利益が自分に返ってきます。

しかし、保険だけは、身銭をきっても最後は自分以外の人に
利益が行ってしまう商品です。
それも一般に、住宅の次に高い買い物と言われています。
 
ではなぜ、自分の得にならないものに、
人は投資を出来るのでしょうか。
それは、保険という商品が家族への愛情の証である
からだと考えています。

私はこのビジネスの本質は、家族への愛、
人間への愛が原点にあるヒューマンビジネスである
と確信しています。

そして人類の英知によって生まれた
社会的なセーフティーネットのシステムであり、
世の中に必要不可欠な存在であるという自負があります。

ただ残念なのは、多くの同業他社の方々は、
同じように考えてはいないという現実があることです。

この仕事について16年になりますが、
4名のお客様がお亡くなりになりました。
そのような訃報をお聞きするたびに、
必ずお客様の契約を確認し、
ご契約当時に、お客様とお話をした内容を反芻しています。

私は、ご提案する時に常にこだわってきたことがあります。
それは、そのお客様を『自分の家族と同じであると考えて、
万が一の時に必ず守るという確信を持っているか』
ということです。

セールスマンとして考えれば、
どんな内容のご契約でも1件は1件と
いうことになりますが、
そのご家族にとってはご主人に代わる重要なご契約だからです。
現実にお亡くなりになったお客様のご家族は、
大切な大黒柱は失ってしまいましたが、
これまでの生活をなんら変えることなく、
生計を営まれています。

『生命保険は、人生最後のラブレターである』
今は亡き日本の創業社長が言っていました。

まさに、保険証券という1枚の紙には、
ご家族への思いが込められているということでしょう。

ですから単なる金融商品ではなく、
万が一のときに家族を守る魔法の力があると
本気で信じているわけです。

これは、私だけでなく、この会社に働く全ての仲間が
共通して持っている確信であり、
ご契約という出会いから、最後の保険金のお届けまで、
一生涯お客様と共に伴走する覚悟をしています。

万が一の時に、愛するご家族をお守りすること、
それが我々の使命であると考えています。
私たちは、聖人君子の集まりではありませんが、
私たち自身にも、大切な家族があり、必ず守りたいと考えています。

『自分がして欲しいと思うことを相手にもしなさい』

という先人の黄金律を実践することが重要なのだと思います。

保険契約には約款があり、
契約を100%履行すると言う約款上の規定、
つまり保障があるわけです。

しかし、約款にない私たち一人ひとりと
お客様との約束もあります。
それは、『これからの人生を伴走します。
そして万が一の時には、必ずご家族をお守りします』
という約束であり、約款には掲載されていない保証です。

私の仲間たちは皆、このふたつの『ほしょう』、
保障と保証が、自らの使命であると信じて仕事をしています。

自分の職業の使命を考え、
仕事を超えた一人の人間としての使命感を持って仕事をすることは、
プロフェッショナルとしての大切な心得であると思うのです。


| プロフェッショナルの心:使命観 | 17:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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プロフェッショナルの心

プロフェッショナルの心は、

使命観、成功観、仕事観 である。



前回も述べましたが、
プロフェッショナルの心技体について、
次のように捉えています。

『心』とは、志、精神や心の強さ。
『技』とは、技術やスキル。
『体』とは、身体能力、あるいは取り組みの姿勢。



そして、
プロフェッショナルの持つべき『心』には、

・ 使命観
・ 成功観
・ 仕事観


3つの価値観があると考えています。

これらは、あまりこなれた言葉ではありませんし、
同じようなことを表しているようでもあるのですが、
私の中ではこの3つがそれぞれに非常に大切だと考えています。

まず、
使命とは、読んで字の如く、
命の使いみちです。

何のために生まれ、
何のために生きているのかと
自分自身に問い掛けると、
色々な答えが浮かんできます。

例えば、自分のため、家族の幸せためという
利己の思いもあります。

また、同時に何か、世のため、人のために役に立ちたいという、
利他の思いもあります。

ここでいう使命観は、特に、この世のため、
人のために役立ちたい、貢献したいという
利他の思いを指しています。

自分のため、家族の幸せのためという利己の思いは、
成功観と捉えています。

そしてこれらを達成するための仕事そのもの、
についての思いを仕事観と名づけました。

次回から、この3つの価値観から、
プロフェッショナルの心について考えてゆきたいと思います。




| プロフェッショナルの心:使命観 | 23:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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師の跡を求めず、師の求めたるところを求めよ

師の跡を求めず、

師の求めたるところを求めよ





これは儒教の開祖、孔子の言葉です。

誰にでも、これまでの人生の中で、
この人の跡を追いたいと考えた、尊敬する恩師、
上司や先輩などがいると思います。

しかし、孔子は真似をする、跡を追うことではなく、
師の求め続けているものを求めよと言っています。

師の求めるものというのは何でしょうか。

私にも「人生の師」と仰ぎ、私淑している人がいますが、
その方々が共通していることがあります。

それは、本質的に求めようとしていることが、
この「師の求めたるところ」であると感じています。

それぞれ全く異なる世界で道を究めている方々ばかりですが、
その求めるものは、突き詰めてめていくと、
一点に収束しているように思います。

それは、

いかなる状況の中でも、自らの姿勢を正して、
自分のできることを精いっぱい実行しているということです。

命の燈火を燃やして生きているといってもいいでしょう。

一人の燈火は、初めは小さいかもしれません。

しかし、やがてその火は周囲の人々の心に火を点けて、
企業や地域社会を照らし、結果として国家を照らすような
大きな炎へとなっています。

陽明学者、思想家の安岡正篤氏は、
これを「萬燈行」と呼んでいます。

安岡氏は、こう言っています。


  内外の状況を深思しましょう。
  このままで往けば、日本は自滅するほかはありません。
  我々はこれをどうすることも出来ないのでしょうか。
  我々が何もしなければ、誰がどうしてくれましょうか。
  我々が何とかするほか無いのです。

  我々は日本を易(か)えることが出来ます。
  暗黒を嘆くより、一燈を點(つ)けましょう。
  我々はまず我々の周囲の暗(やみ)を照す一燈になりましょう。
  手のとどく限り、至る所に燈明(とうみょう)を供えましょう。

  一人一燈なれば、萬人萬燈です。
  日本はたちまち明るくなりましょう。
  これ我々の萬燈行であります。
  互に真剣にこの世直し行を励もうではありませんか。




今回の大震災で、東日本は大きな打撃を受けることとなりました。
特に東北地方は地震と津波によって、壊滅的な状態にあります。

私たちは、これをどうすることも出来ないのでしょうか。
私たちが、何もしなければ、他の国の誰が助けてくれるのでしょうか。

決してそうではありません。

安岡氏の言うように、私たち自身が、解決するほか道はありません。
私たちが、この状況を打破し、日本を変えてゆかなければならないのです。

今、私の尊敬する師である、田坂広志氏が、
内閣官房参与として原発問題に取り組まれています。
田坂氏は、そのブログサイトで、こう語っています。


3月27日の夜、
人生の転機が訪れました。

東日本大震災によって引き起こされた
福島原発事故。

この事故対策のため、原子力の専門家として
政府に助言をして頂きたい。

総理から内閣官房参与就任の要請を受けたとき
聞こえてきたのは、いつものように
「天の声」でした。

それが、たとえ
「火中の栗を拾う」仕事であったとしても
誰かがやらなければならない仕事。

そして、かつて原子力工学の研究者として道を歩み、
「原子力施設の環境安全研究」で学位を頂いたことも
この日のために天が与えた配剤であったのかもしれない。

そう思った瞬間に、覚悟は定まりました。

それから、2週間余り。
週末も返上し、早朝から深夜まで
福島原発事故への対策に追われる日々。
この状況は、まだ何か月続くのか。

その予想もできない状況でありながら、
なぜか、心の中は静かです。

それは、やはり、覚悟を定めたからでしょう。




ここで田坂氏が、言われていることは、
周囲の暗(やみ)を照す一燈になろうという覚悟です。

まさに、萬燈行の実践であると思います。

この、一燈を私たち一人ひとりが、
真摯に受け止めてゆくことで、
萬人萬燈へ広がってゆくのだと思います。

田坂氏をはじめ、日夜、原発問題に取り組まれている皆様に、
心から感謝申し上げると共に、
己のできることで、東日本の復興の一助を担ってゆきたいと考えています。


田坂氏から、皆様へのメッセージをご紹介します。
是非、ご覧下さい。


「今、あなたに何ができるのか」

http://www.youtube.com/watch?v=UO9wZZSJd0w



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| プロフェッショナルの心:使命観 | 10:04 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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命の使いみち

もし、あなたが「明日、死ぬ」と宣告されたら、

今日という一日を、

どのように生きるのでしょうか?




使命とは、読んで字の如く、命の使いみちです。
何のために生まれ、何のために生きているのかと
自分自身に問い掛けると、色々な答えが浮かんできます。

例えば、自分のため、家族の幸せためという利己の思いもあります。

また、同時に何か、世のため、人のために役に立ちたいという、
利他の思いもあります。

どれも正解であろうと思います。

しかし、これをさらに突き詰めて考えると、
こういう問いになります。


『もし、あなたが「明日、死ぬ」と宣告されたら、
今日という一日を、どのように生きるのでしょうか?』




明日はない。
もし、そうだとしたら、一体何に、この命を使うのか?

これこそ究極の命の使いみちです。

しかし、今晩眠りについて、
明日の朝には二度と起きることがなくなるだろうなどと、
考えている人はいません。


それは、自分では決められないことであり、
今の東北の状況を考えると、
まさにそれが現実に起こってしまったのです。


私たちは明日のことはどうなるかわからないのです。

人間はいつかは亡くなるわけで、
それが明日なのかもしれないのです。

もしそうであれば、この限られた時間の中で、
本当に時間を大切に、出会いを大切にし、
いかに全力で生きるかということを
もっと考える必要があるのではないでしょうか。

孔子は、

『朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。』


と言っていますが、
日々自分自身と向き合って、
今日一日をどう生きるか、
どう働くかと覚悟を決めて過ごさなければ、
このような心境には決して到達することは出来ないと思います。

何のために、誰のために、
この一日、この命を使えばよいのだろうか。

それを常に問いかけながら、
目の前の仕事に取り組み続けることから、
私たちは、自分の使命というものが、
見出せるのかも知れません。


そして、一日が終わり、眠りにつく時に、

今日、自分は、二度と戻らぬこの一日を、
精一杯に生き抜いたのだろうか。


と問いかけた時に、

確かに、精一杯生き抜いた。

と言えるような生き方が出来れば、
本当に大切な命を上手に使い、
幸せな一日を過ごしたのだと思うのです。


今日、自分の命の使いみちを考えてみませんか。





| プロフェッショナルの心:使命観 | 09:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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使命感を課して挑戦し続ける

使命感を持つ者が、

貴族である



スペインの哲学者、ホセ・オルテガ・イ・ガセト氏は、
著書『大衆の反逆』の中で、こう言っています。


人間についての、もっとも根本的な分類は、
次のように二種の人間に分けることとである。

一つは、自分に多くを要求し、
自分の上に困難と義務を背負いこむ人であり、
他は、自分になんら特別な要求をしない人である。

後者にとって、生きるとは、いかなる瞬間も、
あるがままの存在を続けることであって、
自身を完成しようという努力をしない。
いわば波に漂う浮草である。




オルテガ氏は、人間を大別して、
自分に対して常に厳しい要求をつきつけ、
困難と義務を背負い込む人と、
「あるがままでいい」と考えて何も努力をしない人に
分けられるとして、前者を貴族、後者を大衆と呼んでいます。

己に対して厳しさを持ち、
常に成長を目指して努力してゆくのが
貴い生き方であるということには、共感できます。

そして、貴族が自分に課してゆくものは、
自分以外のものであり、
自分を超える何かへの奉仕であるとしています。

大衆人は、環境に無理強いされるのでなければ、
けっして自分以外のものに目を向けることはないであろう。

これに反し、選ばれた人間、つまり優れた人間は、
自分を超え、自分に優った一つの規範に注目し、
自ら進んでそれに奉仕するという、
やむにやまれぬ必然性を内にもっているのである。


・・・つまり、選ばれたる人(貴族)とは、
自らに多くを求める人であり、
凡俗なる人とは、自らに何も求めず、
自分の現在に満足し、
自分に何の不満も持っていない人である。

彼(貴族)にとっては、自分の生は、
自分を超える何かに奉仕するのでないかぎり、
生としての意味をもたないのである。

したがって彼は、奉仕することを当然のことと考え
圧迫とは感じない。これが規律ある生(高貴なる生)である。
高貴さは、自らに課す要求と義務の多寡によって
計られるものであり、権利によって計られるものではない。




西欧の貴族社会には、伝統的に、
「」ノーブレス・オブリージュ』
すなわち、高貴なる者の責任・義務という
考え方があるといいます。

第一次世界大戦で貴族の子弟に戦死者が多かったのは、
皆この考えで、志願して従軍したからだそうです。

やむにやまれぬ必然性がそこにあると感じ、
自利を捨てて利他に生きることが出来るかどうかが、
人間の高貴さ、高潔さであるということでしょう。

しかし、自分自身のことではなく、他の人のために、
奉仕することが、人生の価値であると考えられる人が
どれだけいるでしょうか。

ガンジー、マザーテレサ、ネルソンマンデラ、キング牧師・・・
確かに、そのような高貴な道を選んで歩んだ人たちも
たくさん存在します。

私たちが、そういった人たちから学ぶべきことは、
『使命感』でしょう。

この世に生を受けた以上、その命には使いみちがあるはずです。

今の仕事で、私たちが、世のため、人のために、
何が出来るのか。

仕事ではなく、普段の生活の中でも、
周囲の人たちに対して、いったい何が出来るのか。

それを考えてゆくこと、そしてそれを意識して
行動してゆくことが、『使命感を持つ』ということなのでしょう。

そして、使命感を持って、日々生きてゆくことが出来るなら、
その人は、貴族の生き方をしていると言えるのだと思います。

大災害に見舞われたこの日本で、
私たちは、ただ浮き草のように、
状況に流されることなく、
今時分に出来ることは何かを考え、

その使命をを己に課して、
挑戦し続けることが
最も大切なのだと思います。


そして、
世界が私たちを見守っています。


http://www.youtube.com/watch?v=-N4sNrnf4l0

http://www.youtube.com/watch?v=in1LrPG2ejY










| プロフェッショナルの心:使命観 | 15:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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使命感とは何か

黄金律

『自分が相手にして欲しいと思うことを

相手にもしなさい』



私の周りで働いている仲間たちは、皆他社からの転職組で、
その動機や目的は様々ですが、共通することがあります。

それは、具体的な形で人のために役立ちたい、
世の中に貢献したいという気持ちを強く持っていることです。

私たちの『生命保険』というビジネスは、
残念ながら一般的にあまり歓迎されない職業のひとつとなっています。

これは世界共通であるというのが、私の印象です。
おそらく、このビジネスに携わっている人の印象やイメージが良くないこと、
保険は人の生死に関わるビジネスであるからだと思います。

本来、人間は自分の得にならないものにお金はかけたくない
という修正があるそうです。
確かに、預金、投信などの金融商品は、
必ず利益が自分に返ってきます。

しかし、保険だけは、身銭をきっても最後は
自分以外の人に利益が行ってしまう商品です。
それも一般に、住宅の次に高い買い物と言われています。

ではなぜ、自分の得にならないものに、
人は投資を出来るのでしょうか。

それは、保険という商品が家族への愛情の証であるからだと考えています。

私はこのビジネスの本質は、家族への愛、人間への愛が原点にある
ヒューマンビジネスであると確信しています。

そして人類の英知によって生まれた社会的なセーフティーネットの
システムであり、世の中に必要不可欠な存在であるという自信があります。

ただ残念なのは、多くの同業他社が、
そのようには考えていないという現実があることです。

この仕事について十六年になりますが、
三名のお客様がお亡くなりになりました。

そのような訃報をお聞きするたびに、必ずお客様の契約を確認し、
ご契約当時に、お客様とお話をした内容を反芻しています。

私は、ご提案する時に常にこだわってきたことがあります。

それは、そのお客様を『自分の家族と同じであると考えて、
万が一の時に必ず守るという確信を持っているか』ということです。

セールスマンとして考えれば、どんな内容でも1件は1件
ということになりますが、そのご家族にとってはご主人に代わる
重要な1件であるからです。

現実にお亡くなりになったお客様のご家族は、
大切な大黒柱は失ってしまいましたが、
これまでの生活をなんら変えることなく、
生計を営まれています。

『生命保険は、人生最後のラブレターである』と
今は亡き日本の創業社長が言っていました。

まさに、保険証券という1枚の紙には、
ご家族への思いが込められているということでしょう。

ですから単なる金融商品ではなく、
万が一のときに家族を守る魔法の力があると
本気で信じているわけです。

これは、私だけでなく、この会社に働く全ての仲間が
共通して持っている確信であり、
ご契約という出会いから、最後の保険金のお届けまで、
一生涯お客様と共に伴走する覚悟をしています。

万が一の時に、愛するご家族をお守りすること、
それが我々の使命であると考えています。

私たちは、聖人君子の集まりではありませんが、
私たち自身にも、大切な家族があり、必ず守りたいと考えています。

『自分がして欲しいと思うことを相手にもしなさい』

という先人の黄金律を実践することが重要なのだと思います。

保険契約には約款があり、契約を100%履行すると言う
約款上の規定、つまり保障があるわけです。

しかし、約款にない私たち一人ひとりとお客様との約束もあります。

それは、

『これからの人生を伴走します。
そして万が一の時には、必ずご家族をお守りします』


という約束であり、約款には掲載されていない保証です。

このふたつの『ほしょう』、

保障と保証が、私たちの使命であると信じています。


| プロフェッショナルの心:使命観 | 17:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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イチロー選手のプロ意識

自分で自分をコーチする能力。

それが、プロとしての意識であり、生き方だ。




日本人がアメリカで野球をやろうと思ったら、
なによりも大切なことは、自分で自分を教育できることだと思います。
自分で自分をコーチする能力。これは絶対に必要でしょうね。

これを身につけられるかどうかというのは、
その人の意識、考え方、生き方に関わってきます。
人のやることも、自分のことのように捉えて、
自分だったらどうするかということを常に考えて
いられるかどうかです。
  
         
            シアトル・マリナーズ イチロー選手


プロ野球の世界はもちろん、プロフェショナルの世界に、
「育てる」という概念は合わないと考えています。
プロは育てるものではなく、
自ら育つものであると思うからです。

イチロー選手の言う「自分で自分をコーチする能力」
それが、プロの力です。

コーチの仕事は、選手の持っている潜在的な力を引き出すことであり、
またそれが実践の場で効果的に発揮できているかを監督することでもあります。
また、選手の士気を高めるのもコーチの仕事です。
イチロー選手は、これを自分自身でやり遂げているわけです。

こういうのは簡単ですが、これを実行するのは非常に難しいことです。

まず、自分自身を第3者の目で客観的に見つめなければなりません。
極端なことを言えば、幽体離脱して、自分のやっていることを
冷静に天井から見つめてみる・・・といった感じでしょうか。
能の世阿弥も、「離見の見」と言っていますが、
プロも極めてゆくとその域に達するのです。

では、どうすれば、その領域に達することができるのでしょうか。

まず、自分が今何をなすべきなのか、何が課題なのか、
何をしたいのかということを明確に意識することがスタートだと思います。

問題意識を持ったら、次にそれをどうすれば解決できるかを、
徹底的に考え抜くことです。
そういった問題意識や深い思考が前提にあると、
普段なにげなく見過ごしてしまうようなことや他の人がやっていること、
他の会社がやっていることを見るときにも、ここが使える、
これは応用できないかというひらめきが起こります。

あるいは、イチロー選手が言うように、
人のやっていることを自分のこととして捉えて、
自分ならこの場合どうするかと、考えを巡らすことも、
疑似体験にすることで自分自身の訓練になります。

目の前に起こることが、自分に直接関わるか否かとは別に、
さらにプラスもマイナスも含めて、自分ならどう対処するか
ということを考えることは、意識だけでなく、
考え方や生き方の問題でもあり、
自分を鍛える修行であると考えます。

| プロフェッショナルの心:使命観 | 08:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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使命感 命の使い途

黄金律『自分が相手にして欲しい

と思うことを相手にもしなさい』




私の周りで働いている仲間たちは、皆他社からの転職組で、
その動機や目的は様々ですが、共通することがあります。

それは、具体的な形で人のために役立ちたい、
世の中に貢献したいという気持ちを強く持っていることです。

私たちの『生命保険』というビジネスは、
残念ながら一般的にあまり歓迎されない職業のひとつとなっています。
これは世界共通であるというのが、私の印象です。

おそらく、このビジネスに携わっている人の印象やイメージが良くないこと、
保険は人の生死に関わるビジネスであるからだと思います。

本来、人間は自分の得にならないものにお金はかけたくない
という修正があるそうです。確かに、預金、投信などの金融商品は、
必ず利益が自分に返ってきます。

しかし、保険だけは、身銭をきっても最後は自分以外の人に
利益が行ってしまう商品です。
それも一般に、住宅の次に高い買い物と言われています。

ではなぜ、自分の得にならないものに、人は投資を出来るのでしょうか。

それは、保険という商品が家族への愛情の証であるからだと考えています。
私はこのビジネスの本質は、家族への愛、人間への愛が原点にある
ヒューマンビジネスであると確信しています。

そして人類の英知によって生まれた社会的なセーフティーネットのシステムであり、
世の中に必要不可欠な存在であるという自信があります。

ただ残念なのは、多くの同業他社が、そのようには考えていない
という現実があることです。

この仕事について十六年になりますが、
三名のお客様がお亡くなりになりました。

そのような訃報をお聞きするたびに、必ずお客様の契約を確認し、
ご契約当時に、お客様とお話をした内容を反芻しています。

私は、ご提案する時に常にこだわってきたことがあります。
それは、そのお客様を『自分の家族と同じであると考えて、
万が一の時に必ず守るという確信を持っているか』ということです。

セールスマンとして考えれば、
どんな内容でも1件は1件ということになりますが、
そのご家族にとってはご主人に代わる重要な1件であるからです。

現実にお亡くなりになったお客様のご家族は、
大切な大黒柱は失ってしまいましたが、
これまでの生活をなんら変えることなく、生計を営まれています。

『生命保険は、人生最後のラブレターである』
と今は亡き創業社長が言っていました。

まさに、保険証券という1枚の紙には、
ご家族への思いが込められているということでしょう。

ですから単なる金融商品ではなく、
万が一のときに家族を守る魔法の力があると本気で信じているわけです。

これは、私だけでなく、この会社に働く全ての仲間が
共通して持っている確信であり、ご契約という出会いから、
最後の保険金のお届けまで、一生涯お客様と共に伴走する覚悟をしています。

万が一の時に、愛するご家族をお守りすること、
それが我々の使命であると考えています。

私たちは、聖人君子の集まりではありませんが、
私たち自身にも、大切な家族があり、必ず守りたいと考えています。

『自分がして欲しいと思うことを相手にもしなさい』

という先人の黄金律を実践することが重要なのだと思います。

保険契約には約款があり、契約を100%履行すると言う約款上の規定、
つまり保障があるわけです。

しかし、約款にない私たち一人ひとりとお客様との約束もあります。
それは、『これからの人生を伴走します。そして万が一の時には、
必ずご家族をお守りします』という約束であり、約款には掲載されていない保証です。

このふたつの『ほしょう』、保障と保証が、
私たちの使命であると信じています。



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