プロの学校

なんでもできる平均人(ジェネラリスト)より、これが強みだというプロフェッショナルを目指せ! プロの自分をつくる極意を伝授。 成長を続けるための「心・技・体」入門。

2013年09月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年11月

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十牛図に学ぶ禅の教え 4

十牛図に学ぶ禅の教え4


今日も引き続き、
禅の修行と悟りの境地を
牛と牧人の物語で描いた十牛図に
ついて見ていきましょう。

20131020110210f55.jpg


ここまでの2枚の絵は、
逃げだした牛を求めて牧人は旅に出て
牛の足跡を見つけるという所でした。
つまり、
真の自分を見つけるために、
修行を始めた修行者は、
わずかにその手がかりを見つけます。



20131029221524788.jpg



十牛図3枚目の絵は、

見 牛(けんぎゅう)です。


自分の中の心牛を見つけるという場面です。

序にはこうあります。

声より得入すれば、見処(けんじょ)源に逢う。
六根門着着(じゃくじゃく)差(たが)うことなし。
動用(どうゆう)の中頭頭(ずず)顕露(けんろ)す。
水中の塩味(えんみ)、色裏(しきり)の膠青(こうせい)。
眉毛(びもう)をサツ上(さつじょう)すれば、
是れ他物(たもつ)に非ず。



こんな意味になります。

声を聞いて牛、つまり真の自分に
会うことができる。
六つの感覚の一つひとつで感じることができる。

また、日常の動作にも
それが現われている。

塩水に含まれている塩味や、
絵の具に使われる膠のようなものだ。

眉毛を上げて眼をしっかりと見開けば、
牛はほかでもない、
まさに自分そのものではないか。


ここで、修行の第一段階に到達したことになります。
禅でいうところの見性です。
つまり、
真の自分に気づいた体験をするという段階です。


道元禅師の「正法眼蔵」にこう書かれています。


正法眼蔵随聞記 (ちくま学芸文庫)正法眼蔵随聞記 (ちくま学芸文庫)
(1992/10)
水野 弥穂子

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仏道をならうというは、自己をならうなり。 


自己はそのまま仏性であり、
本来は仏そのものなのです。

だから、
仏の道というのは、
自分自身をならうことであり、
ならいつくしたところで、
仏と一致するのだと言います。

それでは、
どうしたら自分自身を
ならうことができるのでしょうか。

道元はこう続けます。


自己をならうというは、
自己をわするるなり。 



つまり、
ならう方法は、
自分をわすれることだというのです。

私が…、私のこと…と言った「我」を捨てる
ことなのです。

我、エゴを捨てるというのは、
非常に難しいことです。

無我夢中という言葉がありますが、
仏への道は、まさに無我夢中で、
自分を捨てることであり、
捨て切ったときに初めて、
仏と一つになることができる。


道元禅師は、
禅のあり方をこう言い切っているのです。



◆今日出逢った素敵な言葉◆

仏道をならうというは、

自己をならうなり。 

自己をならうというは、

自己をわするるなり。 

道元禅師









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十牛図から禅の智恵を学ぶ 3

十牛図から禅の智恵を学ぶ 3



先週から、十牛図をテーマに
日本人の思想体系の中核の一つである禅の教え
について考えています。

道元から始まる日本の禅の思想は、
その後、鎌倉末期から室町時代にかけて、
中国の代表的な禅書を4つにまとめ、
それを基本として学びました。

それが、
禅宗四部録と言われるものです。
その4つとは、

三祖大師 信心銘
永嘉真覚大師 証道歌
住鼎州梁山廓庵和尚 十牛図
坐禅儀


です。

このうちのひとつが、
十牛図なのです。
他の3つは、私もまだ読んだことはありませんが、
是非チャレンジしたいと思います。

前回も書きましたが、
禅宗では、真の自分(本来の面目)を
牛に例えるそうです。
そもそも、釈迦の個人名であるゴーダマは、
牛を意味する言葉であり、
牛は、仏陀の真理の純粋さのシンボルとなっています。

インドで、牛が大事にされるのも、
なるほどとうなずけます。

そして、
禅の修行と悟りの境地を
牛と牧人の物語に例えたのが、
この十牛図なのです。

20131020110210f55.jpg


逃げだした牛を連れ戻し、
飼いならす修行のステップを
10枚の絵で分かり易く描いて
説明したのが十牛図です。

シンプルでわかりやすいですが、
非常に深い内容となっています。

さて、今日は、
十牛図、2枚目の絵です。

20131028091246f07.jpg



この絵のタイトルは、
見 跡(けんじゃく)です。

つまり、
真の自分である牛の足跡を
見つけるという絵です。

序には、こうあります。

経に依って義を解し、教えを閲して跡を知る。
衆器の一金たることを明らめ、万物を体して自己と為す。
邪正弁ぜずんば真偽何ぞ分たん。
未だこの門に入らざれば権(か)りに跡を見ると為す。


意味は、こうです。

経典や先人の語録を読んで牛、
つまり、真の自分を見つける手掛かり
である足跡を見つけることが出来た。

金物には色々な物があるが、
元は同じ金属からできている。
それと同じように、
全てのものが自分と同じである
ということを実感する。

禅の世界に入らずに、
真の自分である牛の足跡が
本物かどうかを見分けることが
できるのだろうか。

まだ禅の門に入っていないならば、
それは、足跡を少しばかり
見つけたに過ぎないのだ。



見跡とは、
牛の足跡を見つけたということです。

つまり、
仏教や禅関係の本を読み、
思想としてそれを理解したという段階に
入ったということです。

言い換えれば、
牛がいる、つまり
真の自分というものがあるということを
まず頭で理解した
という段階です。

しかし、
これはあくまでも、
頭の中の理解でしかありません。
言って見れば、
知識として知ったというだけに過ぎません。

実践が伴わない以上、
それは禅を本当にわかったということにはならず、
見跡、つまり足跡をちらっと見つけたに過ぎない
ということです。

これは、ビジネスの世界でも
同じことが言えます。

本を読んだり、話を聞いたり、事例を見たりして、
私たちは分かった気になってしまいます。

確かに、どんなビジネスの成功にも、
その核となるエッセンス、ポイントがあるということは、
勉強すれば分かることです。

しかし、
多くの場合、そこで終わってしまいがちです。
情報を収集して、わかった気になるということです。

重要なのは、

そうでなければ、
この会社はすごい、あの人はできる、
しかし、うちの会社とは関係ない、
ということで終わってしまいます。

単なる情報収集や評論は、
ビジネス上では、何の意味もありません。

私たちの日常のビジネスの世界で、
このような思考停止が、
あまりにも多いのではないでしょうか。

これでは、
勉強した時間が無駄になりますし、
わかった気になっていることで、
それ以上何もしなければ、
進歩も変化も起こせません。

人から聞いたこと、本で読んだことを
自分のことのように話すだけで、
実践が伴ってなければ、
単なる物知り、評論家に過ぎないのです。

大事なことは、いかに自分事にするかです。

自分事にするには、
その知ったことを自身のビジネスに当てはめて、
具体的に何ができるのか、どう応用できるのか、
何が変えられるか、などど考えること
です。

そして、
考えたことをまず、実行してみることです。
実際に自分でやってみると、
何が大変なのか、どこがポイントなのかが、
わかります。

うまくいかない場合、
その理由は何なのかを考えると
さらに新しい発見があり、
打ち手を修正することで、
進歩していきます。

このように、
本当に分かるということは、
実行すること
なのです。

知ることと実行することは、一つなのです。

真の自分を知る旅は、続きます。


天崎 拝


十牛図―禅の悟りにいたる十のプロセス十牛図―禅の悟りにいたる十のプロセス
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山田 無文

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◆今日出逢った素敵な言葉◆


心ざし 深き深山の 甲斐ありて

枝折の跡を 見るぞ嬉しき





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10/24のツイートまとめ

HideoAmazaki

"@gandhi_tamashii: もしも思いやりに欠け、嘘つきで乱暴な子どもがいたなら、罪はその子にあるのではなく、両親や教師や社会にあるのだ。(『ガンディー 魂の言葉』)"---子供は親を見て育つ。
10-24 23:24

| Twitterで語るプロの学校 | 03:17 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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十牛図から禅の智恵を学ぶ 2

十牛図から禅の智恵を学ぶ 2




今週から、十牛図をテーマに
日本人の思想体系の中核の一つである禅の教え
について考えています。

禅宗では、真の自分(本来の面目)を牛に例えるそうです。
釈迦の個人名であるゴーダマは、
牛を意味する言葉であり、
法華経にも白牛は、文明のシンボルとして描かれ、
涅槃経にも乳から酥、酥から醍醐が生まれるように
仏陀の真理の純粋さを示しています。

これらと同じように、
禅の修行と悟りの境地を
逃げだした牛を連れ戻し、
飼いならす修行のステップを
10枚の絵で分かり易く描いて
説明したのが十牛図です。

十牛図全図

20131020110210f55.jpg




日本においては、廓庵禅師が作ったものが
最も有名です。

この廓庵十牛図の十枚の図には、
まず廓庵禅師が「頌」をつけ、
廓庵の弟子慈遠 が 、
「総序」と頌の一つ一つに「小序」を
つけています。

十牛図には、童子と牛が描かれています。

ここで牛とは、我々が求めている真の自己(本来の面目)、
この真の自己=心牛を禅の体験によって、
探し求める修行者を童子
として描いています。


さて、
今日はその一枚目、
尋 牛(じんぎゅう)について見て見ましょう。

尋牛の図

20131020150226be0.jpg




序としてこう書かれています。


従来失せず、何ぞ追尋を用いん。
背覚に由って、以って疎と成り、
向塵に在って遂に失す。
家山漸く遠く岐路俄かに差う。
得失熾然として是非鋒の如くに起こる。



こんな意味です。

初めから見失っていないのに
どうして追い求める必要があろうか?

覚めている目をそこからそむけるから、
離れてしまうのだ。

外に求めるから、
真の自己を見失ってしまうのだ。

真の自己からどんどん遠ざかり、
別れ道を間違って進んでしまう。

だから、
得るとか、失うという意識が、
火のように燃え上がり、
是非の思いがむらがる刀の穂先
のように湧き起こってしまうのだ。

頌として、
このような詩が書かれています。


茫茫(ぼうぼう)として
草を撥(はら)って去って追尋す。
水濶(ひろ)く山遥かにして路更に深し。
力尽き神(しん)疲れて覓(もと)むるに処なし。
但だ聞く楓樹(ふうじゅ)に晩蝉(ばんせん)の吟ずるを。



このような意味になります。

私は次々に湧き出る草のような雑念を追い払って、
一生懸命、真の自己である牛を探している。

しかし、 どこまで行っても、
川の水は広く、山並みが遥かに続くように、
煩悩や妄想は、どんどん湧き起こり、
その道は果てしなく遠い。

私は体力も尽き、精神も疲れ果てて、
どうしてよいかわからない。
これ以上、何をど求めればよいのだろう。

楓の木でヒグラシがしきりに鳴くように、
雑念や妄想が沸き起こってくる。
これで、今日もまた空しく日が暮れるのだろうか。

自分は誰なのか。
自分は何のために生まれてきたのか。

これは、哲学者のみならず、
あらゆる人が一度は考える問題ではないでしょうか。

答えのない問い、
永遠の問い
かもしれません。

十牛図では、それを
牛を尋ねる、捜すという表現をしています。

これは、
まさに禅の修行の第一歩です。

しかし、
いきなり出鼻を挫くことが、
書かれています。

この尋ねるということ自体が、
そもそも誤りであると言うのです。

むしろ、あらゆる問題は、
ここから始まると言います。

なくしていないものを、
なくしたと思って捜しているのだと言うのです。

では、
失ったもの、真の自己とは、
どこにあるのでしょうか。

本来の自己、失った牛は、
自分自身の内にあるのです。

自分自身の中にあることを知らずに、
探しに出ようとすることについて、
疑問を投げかけるのです。

曹洞宗の始祖、道元の考えをまとめた
修証義』の第五章に、
「即心是仏」ということが
書かれています。



修証義に聞く―道元禅の真髄修証義に聞く―道元禅の真髄
(1996/10)
松原 泰道

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道元は、
心がそのまま仏であると言っています。

この心というのが、ポイントであり、
私たちが普通に持っている欲望や
自己中心的な心ではありません。

ここでいう「心」というのは、
心の奥の奥にある純粋な心であり、
仏教ではそれを「仏性」とも呼んでいます。

この心の奥底に潜む仏性にたどり着くことが
できた時に私たちは悟りを開いた
と言います。

このように、
元々仏である自分が、自らに仏を求める
というのが仏の教えをであり、
坐禅という修行を通じて、
全ての人が仏となることができる
と言います。

ですから、
座禅は心の除草をするということであり、
雑草を取り払った心の底に、
自分の仏性を見出していきます。

まさに『尋牛』にある、
「茫茫(ぼうぼう)として
草を撥(はら)って去って追尋す。」

なのです。



◆今日出逢った素敵な言葉◆


尋ねゆく みやまの牛は 見えずして

只うつせみの 声のみぞする

京都東福寺 正徹



十牛図―自己の現象学 (ちくま学芸文庫)十牛図―自己の現象学 (ちくま学芸文庫)
(1992/11)
上田 閑照、柳田 聖山 他

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十牛図から禅の智恵を学ぶ 1

十牛図から禅の智恵を学ぶ 1




大学院時代からの友人、
小森谷さんから勧められ、
禅の『十牛図』(じゅうぎゅうず)
について学び始めました。



20131020110210f55.jpg




最近、仏教の本を読んでおり、
少しずつですが、
分かってきたことがありますので、
この十牛図のお話から、
紐解いてゆきたいと思います。

この十牛図というのは、
ひとことで言えば、
禅の悟りにいたる道筋を
牛を主題とした10枚の絵で表したものです。

中国宋時代の禅僧、廓庵(かくあん)
によるものが有名です。

牧童が、牛を探し捕らえるまでのプロセスを描く
この十牛図は、代表的な禅宗的画題のひとつです。

牛は、本来の自己、仏教における悟りを象徴し、
また牧童は、修行者である自分自身を表しています。


ですから、
牛を得ようとする10枚の絵は、
本来の自己を探し求める旅、
つまり、
悟りへのプロセス
になっています。

それぞれの絵が表す物語は、
ざっとこのような内容です。


1.尋牛(じんぎゅう)

牛を捜そうと決意します。
つまり、悟りを探しますが、
どこにあるのかわからず、
途方にくれてしまいます。


2.見跡(けんせき)

牛の足跡を見つけ出そうとします。
足跡とは、先人の教えです。


3.見牛(けんぎゅう)

牛の姿をかいまみることができました。
優れた師に出会い「悟り」が、
わずかに見えました。


4.得牛(とくぎゅう)

力づくで牛をつかまえようとします。
何とか悟りを得たものの、
いまだ自分のものにはなっていません。


5.牧牛(ぼくぎゅう)

牛をてなづけようとします。
悟りを自分のものにするために
修行を続けています。


6.騎牛帰家(きぎゅうきか)

牛の背に乗り家へ向かいます。
ようやく悟りを得て俗世に戻ります。


7.忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん)

家に戻って牛のことも忘れる絵です。

悟りは逃げたのではなく、
修行者である自分自身の中にあることに気づきます。


8.人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)

すべてが忘れさられ、無になった絵です。
円だけで何も絵がありません。


9.返本還源(へんぽんげんげん)

自然の美しさがあらわれてくる絵です。

悟りとは、このような自然の中にあることを
表しています。


10.入鄽垂手(にってんすいしゅ)

悟りを得た修行者が、牧童から布袋和尚の姿に
変わっています。

そして、
街へ出て別の牧童と遊んでいます。
他の人を導いています。


悟りを開き、真の自己を見出す禅のプロセス
このような牧童と牛の物語で示しているのです。

一つひとつの絵は単純で、
あまり意味を感じにくいのですが、
実はそれぞれのコマに、
深い禅的な哲学が隠れているのです。

しばらく、
この10の絵について
考えて見たいと思います。


天崎 拝



◆今日出逢った素敵な言葉◆


人牛倶忘

十牛図


すべてが忘れさられ、無になった。

そこにあるのは、円相だけ。


201310201056030e3.jpg



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10/19のツイートまとめ

HideoAmazaki

I liked a @YouTube video http://t.co/IFox5uS0bQ 風の対話「職業を選ぶ心得」 -偶然に導かれる世界ー
10-19 21:41

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10/10のツイートまとめ

HideoAmazaki

"@Niccolobot: 天国に行く最も有効な方法は、地獄へと至る道を熟知することである。"---逆もまた真なり。
10-10 20:47

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10/08のツイートまとめ

HideoAmazaki

自ら未来をつくることにはリスクがともなう。しかし、自ら未来を創ろうとしないことのほうがリスクは大きい。ドラッカー………下りエスカレーターを登る感覚。一気に登れ。
10-08 22:52

"@John_lennonbot: 問題は、これからのことや過ぎ去ったことを思いわずらう必要はないってことなんだ。 大切なのは、今この瞬間を楽しむ、ということさ。"---永遠なる今を大いに生きる。仏教的です。
10-08 21:17

"@RyuMurakamiBT: 何かを知るということは、何を知らないかをはっきりさせることでもある"---逆もまた真なり。
10-08 21:15

知識労働者たる者は、仕事のなかに継続学習プロセスを組み込んでおかなければならない。知識組織は学ぶ組織である。教える組織でなければならない。(ピーター・ドラッカー)---組織として学習するしくみをいかに創り込めるか。
10-08 21:14

"@Ichiro_Meigen: 逃げることはできない。プレッシャーを避けようなんて、バカげています ─ イチロー"---さすが、イチローだけある。ブロは逃げたりしない。むしろ、ブレッシャーを楽しむべし。
10-08 20:00

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人はなぜ、頂上を目指すのか。

人はなぜ、頂上を目指すのか




先日、冒険家の三浦雄一郎氏とお会いしました。

201310071741318be.jpg



ご存知の通り、三浦氏は、今年80歳で、
エベレスト登頂に成功しました。



image_20130825101801e28.jpg


三浦氏は、1975年に、
パラシュートを付けて、エベレストを滑降し、
世界中を驚かせました。

その三浦氏が、80歳という高齢で、
心臓手術を繰り返しながらも、
なぜこのような危険な挑戦を
続けているのか、不思議でした。

しかし、
三浦氏のお話を聞き、
その生き様を合間見ることで、
人の生き方について学ぶことができました。

三浦氏は、
自身の半生を静かに語りました。

思い起こせば、20歳の時に、
ヒラリーが、世界で初めてエベレストに
登頂を成功したという報道を聞き、
いつか自分もという思いがあったそうです。

その思いが、後にい65歳で再燃します。

三浦氏は、
3歳からスキーを始め、高校で国体選手となり、
プロスキーヤーの道を歩みました。

青森に暮らし、高校から大学の7年間、
夏休みにはずっと津軽半島を放浪し、
米と飯盒を持ち、あとは海の魚を獲って
食べるというサバイバル生活を続けていたそうです。

あのメンタルタフネスは、
こうして養われたのだと納得しました。

受験勉強をせず、
みごと北大医学部に入り、
獣医学科で研究生活に入りますが、
スキーへの夢を捨てられず、退職してしまい、
東京へ出て、剛力仕事(山での荷物担ぎ)で稼ぎながら、
スキーに賭けることになります。

そして、1975年ついに、
パラシュートを付けてエベレスト滑降に成功し、
その記録映画がアカデミー賞を受賞します。
冒険家、三浦雄一郎の面目躍如です。

しかし、
その後、接待や飲み食いに明け暮れ、
ついには、164cmの小柄な体ながら、
体重は90キロまで膨らんでしまいます。
体は、成人病のデパート状態となり、
狭心症の発作にも侵され、
命の危険にさらされます。

こんな状態の彼を変えたのは、
父三浦敬三氏の生き様でした。
敬三氏も雄一郎氏に負けない
プロスキーヤーでもありました。

97歳まで3回の骨折を乗り越え、
99歳でモンブラン滑降に成功してしまいます。

この父の姿を見て、
ついに、65歳でエベレスト登頂を決意します。
45年前の夢へのチャレンジです。

しかし、
とは言え、今の彼は、500mの裏山も、
息切れして登れず下山する状態で、
誰もが、そんな無謀なことはできるはずがない
と言って止めました。

その時、三浦氏は、こう考えたのです。

誰もが、無理ということに、
あえてチャレンジすること自体が面白いんじゃないか。


究極のポジティブ思考です。
しかも、ここからの頑張りがすごいのです。

この日から、足に1キロの重りをつけて、
背に5キロの荷物を背負って歩き始めるのです。

しかも、その重りが、5キロとなり、
最後は10キロになっていきます。
また、背の荷物も、10キロ、30キロになっっていきます。

そして、
富士山に登り、5000m級のヒマラヤに登頂し、
ついには70歳でエベレストの登頂に成功します。

心臓に爆弾を抱え、手術を繰り返す中での登頂でした。
さらに、75歳でも、登頂にチャレンジし、
今年、80歳で再挑戦、最高年齢登頂記録を更新しました。

しかし、
下山途中、マイナス20度の中で歩けなくなり、
危機的状況に陥ります。

死を覚悟して、2日間で30時間歩き続けて
キャンプに到着します。

エベレスト登頂を振り返り、
三浦氏は、こう言いいます。

ただ、ただ、感謝です。
命を賭けて僕の夢に付き合ってくれた仲間たち
への感謝あるのみです。
有り難うございますの一言です。



三浦氏は、
さらに続けます。

世の中には、自分の力だけでは、
出来ないことが数多くあります。
しかし、それで文句や不平を言うのではなく、
出来ることに集中してやって見ることが大事なのです。


次の目標は、
エベレストのチョー・オユー(8201メートル、
世界第6位の高峰)を息子と2人でスキーで
滑り降りたいと思います。
そのために、今月5回目の心臓手術を受けます。

遠くを見つめるようにそう語る三浦氏の姿を拝見し、
人は、頑張って、がんばって、ガンバって、
地球のテッペンにも登ることができる、
ということを命懸けで示してくれた男の生き様に
感動を覚えました。

そして、
人生とは何か、生きることの意味とは何なのかを
改めて考える機会を頂きました。

三浦雄一郎さんに、
心から感謝致します。


天崎 拝


◆今日出逢った素敵な言葉◆

誰もが、無理ということに、

あえてチャレンジすること自体が

面白いんじゃないか。

冒険家、三浦雄一郎




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10/07のツイートまとめ

HideoAmazaki

:「ありがとう」と言う方は、何気なくていい。言われる方はうれしい。「ありがとう」、これをもっと素直に言い合おう。松下幸之助---有り難うとは、起こりえないこと。
10-07 21:20

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