プロの学校

なんでもできる平均人(ジェネラリスト)より、これが強みだというプロフェッショナルを目指せ! プロの自分をつくる極意を伝授。 成長を続けるための「心・技・体」入門。

2013年10月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年12月

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11/29のツイートまとめ

HideoAmazaki

"@PresidentBOT: 人間にとって成長ないし発展とは、何に対して貢献すべきかを自らが決定できるようになることである。(ピーター・ドラッカー)"---たしかに、これも成長。
11-29 19:59

"@ProfessionalBot: うーん。貫くことですかね。その自分のやるべきことを、流されずに。僕自身がそうやっていきたいなとは思っています - 武 豊 (騎手)"---流されずに貫けるものがあること。それが大前提です。
11-29 18:35

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成長を続けるための言葉2 知識と智恵は違う

成長を続けるための言葉2

知識と智恵は違う




最近、色々なセミナーに参加して
思うことですが、
一番前の席に座って、
おもむろにパソコンを開け、
講師の話をまるでタイプライターのように、
バチバチ打ち続ける人がいます。

特に、webマーケティングや
ソーシャルメディアなどのセミナーでは、
必ずそういう人がいます。

自分のタイピングの音が
どれくらいうるさいのかまるで
気になる様子はありません。

それが、どれほど講師の方が
話しにくい状況になっているかも、
全く気にしません。

また、一方で、
講師の方の一言一句を
漏らさずしっかりメモをとる人もいます。

私もかつて、
そういうメモ人間の一人だった
ようにおもいます。

しかし、
私の恩師、多摩大学大学院教授、
田坂広志氏は、
その講義で、
一切メモを取ることを禁じています。


201311281550274b5.jpg


アイコンタクトを外さず、
集中して傾聴し、心に刻む、
つまり、心の深くにメモを取る
ことを
教えて頂きました。

確かに、
心に響くいい話、
いい言葉を聴けば、
メモしたくなるのは心情です。

でも、
それも過ぎてしまうと
ただ耳から聞いて、
手を動かすことの繰り返しになってしまい、
肝心な中身は聞こえているだけで、
決して聴いてはいないのです。

「聴く」という字は、
耳と心できく
と書きます。

心に刻もうとすると、
手を動かしている暇などないはずです。

また、
仮に完璧にコピーするように
メモ出来たとしても、
そこに書いてある文字は、
単なる言葉の羅列に過ぎません。

いや、後でじっくりと目を通すので、
大丈夫だという人もいるかもしれません。

でも、
それならば、今この瞬間に生で発している
その言葉に耳を傾けるべきでしょう。
そして、言葉だけでなく、
表情、声、抑揚、リズム、
そしてその言葉に込めた思いを
感じ取るべきでしょう。

つまり、
文字で書かれたものや
話を聞いているだけであれば、
そこで得られるものは、
単なる「知識」や「情報」に過ぎない
ということです。

では、
誰かの話を傾聴して
何を掴むべきなのでしょうか。

それは、「智恵」です。

田坂氏は、こう言います。

ーーーーーーーーーーーーーーー

「知識」を学んで、
「智恵」を摑んだと錯覚すること。
それが現代の病。

では、「知識」と「智恵」を混同すると、
何が起こるのか。

単なる「知識」を学んで、
「智恵」を摑んだと錯覚すること。
その落とし穴が待ち受けています。


ーーーーーーーーーーーーーーー

知識を学んで、
知恵を掴んだと錯覚する
とは、どういうことでしょうか。

例えば、
書店に行くと、
「営業の智恵」を語った本は、
山のように並んでおり、
多くの営業マンが買ってゆきます。

にもかかわらず、
肝心な「営業の智恵」を摑んだ営業マンが、
実際にはそれほど多くいる訳ではありません。

100万部売れている本もありますので、
100万人のスゴイ営業マンが生まれるはずですが、
そうはならないのです。

なぜでしょう。

それは、
これらの本は、
営業のプロフェッショナルが、
成果を上げるために、
自分の掴んだ「智恵」を
伝えようとして語ったものです。

そして、
実際には、その「智恵」というものは、
言葉で表すことはできません。


まず、
言葉にして語った瞬間に、
それは「知恵」ではなく、
「知識」になってしまいます。


例えば、
「商談は、間が大事だ」
と思います。

これを言葉として頭で理解しただけでは、
単なる「知識」を学んだだけになります。

この「間」という言葉の意味するところを
本当にわかるのは、
実際の商談の場しかありません。

商談の中で、
実際に顧客との会話の中で、
相手の表情や話のスピードなどを
捉えながら、「間」を意識して、
初めてその言葉の意味を掴めるのです。

もしくは、
これまでの体験を思い起こし、
あの時の商談は、
間を取らずに一方的に進めたから、
うまくいかなかったのではないか、
などと自分の体験と重ね合わせることでも、
「智恵」を掴むことができる
のです。


しかし、
受験競争や知識偏重の教育を
受けてきている多くの人たちや、
営業の経験の乏しい人は、
本を読んで、ただ言葉で、
「知識」を学んだだけで
終わっている人が多いのです。

本を読みながら、
いいことが書いてある、その通りだ、
とラインマーカーを引いて
「智恵」を摑んだと思い込んでしまうのです。

そして、
本を閉じ他瞬間に、
全て別の世界の話になってしまうのです。

実際には、
本を閉じた瞬間からが、
最も重要なのです。

その知識を実際に
実行して見なければなりません。

実行すること、
体験することが、
唯一、分かることにつながります。

本当に知るということは、
体験してわかる
ということなのです。

禅の世界で、

「冷暖自知」

という言葉があります。

これは、
水が冷たいか、暖かいかは、
自分で手を入れてみれば分かることから、
真の悟りというものは、
自分で感得するものである
ということを表しています。

自身で体験することが、
唯一本当に分かるということにつながり、
そこから得られるものが智恵となるのです。

体験を通じて、知識を実行してみる。
その瞬間に体験は、経験となって、
自分自身の中に身体化していく。


それが、本当の智恵を掴む
ということなのです。


天崎 拝


◆今日出逢った素敵な言葉◆


「知識」を学んで、

「智恵」を摑んだと錯覚すること。

それが現代の病。



成長し続けるための77の言葉成長し続けるための77の言葉
(2010/12/23)
田坂 広志

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11/28のツイートまとめ

HideoAmazaki

"@murakamibot: 1 死なないこと 2 楽しむこと 3 世界を知ること"---この3つをNOと言う人はいない。
11-28 19:38

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成長を続けるための言葉1 「成長という約束」

成長を続けるための言葉1 「成長という約束」



プロの学校の天崎です。

私の大学院での恩師である田坂広志教授は、
たくさんの著書を書かれていますが、
中でも、

「成長を続けるための77の言葉」

は、非常に学ぶことの多い著作の一つです。


成長し続けるための77の言葉成長し続けるための77の言葉
(2010/12/23)
田坂 広志

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成功と成長は、同じようなものと
考えがちですが、実は似て非なるものです。

田坂教授は、こう言います。

ーーーーーーーーーーーーーー

なぜ、人生において、「成長」が大切なのか。
それは、人生には、一つの真実があるからです。

人生において、「成功」は約束されていない。
しかし 「成長」は約束されている。

いま、世の中に溢れる「成功願望」。
誰もが、その人生において、
競争での「勝者」となり、
目標を「達成」し、
人生で「成功」することを願っています。

しかし、誰かに人生の真実を見つめるならば、
「勝者」の陰に、必ず「敗者」があり、
「達成」の陰に、必ず「挫折」があり、
「成功」の陰に、必ず「失敗」があります。

けれども、人生において、
誰もが必ず手にすることができるものが、ある。
それが「成長」です。


ーーーーーーーーーーーーーーー

成功について語る本は、
書店にたくさん並んでいます。

それらは、その著者それぞれの
真実なのだと思いますが、
誰しもが努力をして得られる共通のもの、
それが成長であるということなのです。

この本に出てくる77の言葉は、
単なる「言葉の列挙」ではなく、
「言葉の階梯」として語られています。

一つの問いに対して、一つの言葉が答え、
その答えに対して、次の問いが生まれ、
また一つの言葉が答えていきます。

それは、あたかも言葉の階段を
登っていくように、
私たちを成長の高みへと導く
一連のメッセージであり、
この本を一頁、一頁読み進むことで、
一生涯にわたって成長し続けていくために
大切な心得を、深く理解することができると思います。

しかし、
田坂教授は、さらにこう言います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

言葉で、「知識」を学んだだけで、
「智恵」を摑んだと思い込んでしまうのです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


そこで、私は田坂教授に指導を仰ぐ
仲間たち(多摩大田坂塾と呼んでいます)と
これらの言葉を毎週一つずつ順に選んで、
この77の言葉を巡る自身の体験や思いに
ついて語り合う場を作りました。

つまり、
言葉を知り、理解するということではなく、
その言葉をきっかけにして、
自らの体験や日頃の思い、悩み、課題などと
照らし合わせて考えること、
それが気づきであり、理解である
ということです。

しかし、
そこで終わりではありません。
それらの気づき、理解したものを
日常の生活や仕事の中で、
実践してみる
ということが重要です。

中国の思想家、王陽明はこれを、

「知行合一」

と言っています。


これは、
「知ること」と「行うこと」は一つである
という意味です。

私たちが陥りがちなことは、
この「知行合一」から離れ、
「知行分離」という落とし穴です。

本当に知るということは、
頭で理解するだけではなく、
自分でやってみて初めて分かると言えるのです。

本当に知ることは、自ら行うことと
ひとつなのです。


天崎 拝

◆今日出逢った素敵な言葉◆


人生において、

「成功」は約束されていない。

しかし 

「成長」は約束されている。

田坂広志


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十牛図に学ぶ禅の智恵11

十牛図に学ぶ禅の智恵11


十牛図の10枚の絵から
禅の教えを読み解くお話も
今日で最後の1枚となりました。

20131113151035e46.jpg


10枚目の絵は、

入鄽垂手(にってんすいしゅ)

です。



修行の果てに、
新しい自分に生まれ変わり、
再び、元の世界に戻っていくこと


を示しています。

序としてこう書かれています。

柴門(さいもん)独り掩うて、
千聖も知らず。
自己の風光を埋めて、
前賢の途轍に負(そむ)く。
瓢を堤げて市に入り、
杖を策(つ)いて家に還る。
酒肆(しゅし)魚行(ぎょこう)、
化して成仏せしむ。



こんな意味です。

ひっそりと柴の戸は、
ひっそりと閉ざされていて、
どんな聖者も、その真実を知ることはできない。

悟りの輝きをかくして、
昔の祖師の歩いた道に背くことに
なるかも知れない。
徳利をぶらさげて町にゆき、
杖をついて自分の家に還るだけだ。

酒屋や魚屋にも行って大衆と交わり、
感化して成仏させるのである。
彼はあたかも蓮や睡蓮が
汚い泥水の中から生長しても、
泥水(世俗)に汚されないように、
「世法即仏法」の生活を
民衆のなかで実践するだけだ。



布袋様のような姿となり、
脚を現し、腹をむきだし、
町にさすらい歩き、
子供と親しみ、笑い、
慈悲を世界にふりまいて
生きている姿を表しています。

一体これは何を意味するのでしょうか。

ここまで、
自分自身を見つめて、
真の自分とは何かを見つける旅が終わった時、
求めるものは、すでに自分のことではなくなっています。

この絵のように、
民衆の中に入って、
一緒に働き、一緒に泣き笑いをする、
そんな人になって、
初めて多くの人を救うことができるのでしょう。

つまり、
十牛図に示されている
禅の修行のゆきつくところは、
ここにあるのです。

自分のための修行、
自分を追求する修行の先でできること、
それは、修行で得たものを
人のために生かすこと
なのです。

この絵の布袋様が、
自分自身の究極の姿なのです。

周りの人の思惑や体裁などを一切考えず、
自分をはだかにして、何の気遣いもせず、
人々の中に混じって話をし、
そして手を差し伸べるのです。

まさに、
世のため、人のために生きることが、
修行の先にあるもの
なのでしょう。

そう考えると、
この絵は仏陀の姿にも見えますが、
布教するキリストの絵にも見えてしまうのは、
私だけでしょうか。

あらゆる宗教は、
突き詰めていくと同じことを発見し、
伝えているのかもしれません。

20131020110210f55.jpg




終わりに

もともと十牛図に関心を持ったのは、
親友の小森谷さん、
彼は禅の研究家でもあり、
立ち姿もお坊さんのような人ですが、
彼に触発されたこともありました。

ただ、
海外でしばらく生活していた頃に
よく思ったことですが、
日本人はそう考えないな、
日本ならこうするだろうな、
などと思うことがよくありました。

私の行っていた国の多くは、
キリスト教の国でしたので、
宗教の違いもあります。

また、外国の国は全て、
一定の期間の歴史しかなく、
一時的に他国に侵略されたり、
支配されたりしているケースも多くあります。

ですから、
日本のように原始時代から単一民族で
侵略されることもなく、
悠久の歴史が続いている国は、
他にはありません。


そういう国の民族の血を受け継いで
いるからこそ、
日本人だからわかること、
日本人として生きる中で、
自然にDNAに埋め込まれたものが
あるということに気づきます。

例えば、
ゆがんだ侘び茶腕を見て素晴らしいと思うこと、
苔むした庭を見て美しいと感じること、
大きな岩、大木、山、海に、
神様や仏様がいると信じられること、

…など、
学校の授業で学んだわけでないにもかかわらず、
日本人が共通に共感できるものがあります。


そういう日本人らしさというものの根底には、
これまで見てきた仏教、特に禅の考え方が
ベースにある
のではないかと感じます。

もちろん、
朱子学、陽明学などの儒教の教えや、
八百万の神、神道な
ども、
私たちの文化の下地にあり、
レゾンデートルになっているのだと思います。

そういう意味で、
日本人として自分を知る手がかりとして
禅の智恵というものについて捉えてみました。

十牛図について書かれている本も
色々と読みましたが、
合わせて、日本の禅の始祖、
道元の「正法眼蔵」なども読みました。

2013111315144369d.jpg


仏教や禅は、
なかなか難しいという先入観がありましたが、
この十牛図で見ていくと腹落ちする部分が
多くありました。

これからも、
少しずつ勉強を続けながら、
10枚の絵のように、
自分と対峙する心の修行をしていきたいと思います。

十牛図に学ぶ禅の智恵 1〜11




現代文訳 正法眼蔵 1 (河出文庫)現代文訳 正法眼蔵 1 (河出文庫)
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十牛図に学ぶ禅の智恵10

十牛図に学ぶ禅の智恵10



さて、
十牛図もいよいよ
9枚目の図となりました。

20131020110210f55.jpg


禅の教えの図も後残り2枚です。


20131113121238690.jpg


十牛図、その9枚目は、

返本還源(へんぽんげんげん)

です。


この図を見ると、
前回の円相のように、
真っ白ではありませんが、
ただ木があるだけの図です。

まさに、これも空(くう)の図です。

これが、

主客一体の境地

を表しているのです。

序にはこう書かれています。

本来清浄にして、
一塵を受けず。

有相の栄枯を観じて、
無為の凝寂に処す。

幻化に同じからず、
豈に修持を仮らんや。

水は緑に山は青うして、
坐(いなが)らに成敗を観る。  


このような意味になります。


本来の面目(真の自己)は清らかで、
塵ひとつ受けつけない。

仮りの世の栄枯盛衰を観察しつつ、
無為寂静(涅槃)の境地にいる。

しかし、空虚な幻化(まぼろし)とは違うのだ、
どうしてとりつくろう必要があろう。

川の水は緑をたたえ、山の姿はいよいよ青い。
居ながらにして、
万物の成功と失敗・栄枯盛衰の理を
ありのままに観るだけだ。



返本還源とは、
元の境地に還ってきたということです。

その元とは、何でしょうか。

鎌倉時代、宋から来日し、
建長寺に住み、
後に円覚寺を開山した無学祖元は、
こう言っています。

201311131236336ac.jpg



喜び得たり  
人 空(くう)にして 
法も亦(ま)た 空なるを。

人とは空であり、
仏法もまた空であることが分かって、
うれしいことだ。

元とは、この空のことです。

空とは、
天地の間の一切の事物は、
すべて因果と縁から起こるものであって、
その実体はないのだということです。


この空に辿り着くと、
主観である自分と
客観である仏の教え、
その主客が一体化して
消え失せてしまう。

これが、
心境一如
という悟りの境地に
到達するということなのです。


天崎 拝


◆今日出逢った素敵な言葉◆

20131113122414ad4.jpg



喜び得たり  

人 空(くう)にして 

法も亦(ま)た 空なるを。

無学祖元





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十牛図に学ぶ禅の智恵 9

十牛図に学ぶ禅の智恵 9



十牛図で禅の教えを学びつつ、
10枚の絵について、
読み進んできました。

20131020110210f55.jpg


この十牛図もいよいよ、
最後の3枚となりました。

十牛図、その8枚目です。

20131113102851e0d.jpg


図のように、
絵は全くありません。
ただの円のみです。

この絵のタイトルは、

人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)

です。


悟った自己を忘れ、
悟りも忘れ、
全てを忘れてしまった
無の境地

について表しています。


序にこう書かれています。

凡情脱落し、聖意皆な空ず。
有仏の処、遨遊(ごうゆう)
することを用いず、
無仏の処急に須(すべから)く走過すべし。

両頭に著(お)らざれば、
千眼も窺(うかが)い難し。
百鳥花を含むも、一場のモラ(もら)。



こんな意味になります。

迷いの気持(凡情)が抜け落ちて、
悟りの心もすっかりなくなった。

仏のいる世界に執着する必要もなく、
仏のいない世界(煩悩の世界)にも
足をとめずに走り抜けなければならない。

凡聖(両頭)のどちらにも
腰をすえていないから、
観音様の千眼さえ、
この正体を見てとることはできないだろう。

多くの鳥が花をくわえてきて供養することなど、
顔が赤らむような場面だ。



絵は至ってシンプル。
ただの丸だけです。

これを円相、えんそうと言います。

20131113104542f3c.jpg


この円は、
悟りや真理、仏性、宇宙全体などを
円形で象徴的に表現したものです。

何もない、空っぽの円の中に、
深い意味を込めているのです。

つまり、
「本来無一物」の真の事実、
真の自己の世界を示している
のです。

この境地に至って初めて、
本当の禅を修行したことになり、
自分の存在の意味に出会い、
自己の安心を得ることができる
のです。


また、
この円相は、
己の心をうつす窓である

とも言われています。

しかし、修行の階梯では、
未だ第八段階であり、
もう一段の修練が待っているのです。


天崎 拝


◆今日出逢った素敵な言葉◆


円相は、

己の心をうつす窓である





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11/11のツイートまとめ

HideoAmazaki

【習慣を作る方法】 1.決まった時間に 2.決まった場所で 3.決まった手順で 少しずつでもいいから行うことです。 21日間続けることができれば、習慣になると言われています。 あきらめないことです。 粘り強さ、しつこさを持つことです。 ---3日、3週間、3ヶ月、3年続ける。
11-11 21:55

"@PresidentBOT: 力強さは使命感を持つところから生まれる。(松下幸之助)"---使命感は大切。この命の使いみちだから。
11-11 21:51

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十牛図に学ぶ禅の智恵 8

十牛図に学ぶ禅の智恵 8


禅の4大テキストのひとつ、十牛図を題材に、
禅の教えを学んでいます。

その 十牛図も、7枚目となりました。


20131110223754f5e.jpg


この図は、

忘牛存人(ぼうぎゅうそんにん)

と呼ばれています。

この図の意味は、
本来の自己、
真の自己とも呼ばれる牛を
すっかり忘れるという段階
です。

ここには、
このように書かれています。


法に二法無し、
牛を且(しばら)く宗と為す。

蹄兎(ていと)の異名に喩え、
筌魚(せんぎょ)の差別を顕わす。

金の鉱より出づるが如く、
月の雲に離るるに似たり。

一道の寒光、
威音(いおん)劫外(ごうげ)。>


こんな意味になります。

真理に二つあるわけではない。
牛を主題として、しばらく論じただけなのだ。

蹄(ひずめ)を持つ動物と兎が別ものであり、
筌(ふせご)と魚が違うのは話すまでもない。

ただ、牛を真の自己の喩えとして
用いたに過ぎないのだ。

真の自己は、
あたかも純金が金鉱からとり出され、
月が雲を抜けて出てくるのに似ている。

ちょうど、一すじの月の光が、
威音王仏(過去仏)よりも、
以前からあるのと同じように、
真の自己は、大昔から存在しているのだ。


これまで、
この牛を求めて修行を始めました。
そして牛を発見し(見牛)、
手に入れ(得牛)、
この牛ならしをし(牧牛)、
少しは言うことを聞く(騎牛帰家
修練を続けてきました。

20131020110210f55.jpg


こうして真の自己(牛)を求めて、
徹底追究してきた今、
その求める自己が全く無くなって、
真の自己も意識に全く上らない世界に
ついに到達したのです。

天崎 拝




◆今日出逢った素敵な言葉◆


金の鉱より出づるが如く、

月の雲に離るるに似たり。



真の自己は、

あたかも純金が金鉱からとり出され、

月が雲を抜けて出てくるのに似ている。



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11/09のツイートまとめ

HideoAmazaki

"@seikousyabot: 『執念ある者は可能性から発想する。執念なき者は困難から発想する』 松下幸之助 ーーーどちら側に立つか、なんですよね。
11-09 14:55

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