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「命懸けで生きる」という生き方



 命がけということばは

 めったに使っても 

 言ってもいけないけれど

 究極は命がけでやったものだけが

 残っていくだろう

 
坂村真民




確かにこういう言葉は、
軽々しく使うものではありません。

同じようによく使う言葉に
「必死」があります。

必死に走る、必死に進める、
必死に終わらせる…

必ず死ぬと書いて、

「必死」

こう言っても、大抵の場合は、
本当に死ぬことはありません。

しかし、人生はどうなるのか、
予測も、予想もできません。

人はいつか亡くなります。

それがもし、明日だとわかっていたら、
私たちは今日という日を、
どう生きるのでしょう。

この一日をどう過ごすのでしょうか。

きっと、言葉の通り、「必死」に
生きようとするのでしょう。

命懸けというのは、
そんな境涯で生き抜く
ということなのかもしれません。

登山家の栗城史多氏は、
ヒマラヤを下山中に滑落し、
数千メートルの谷底に滑り落ちながら、
奇跡的に山肌に立てられた登山の祈りの旗に
引っかかって、一命をとりとめたそうです。

これだけの危険を冒してまで、
栗城氏は、なぜ山に挑み続けるのでしょうか。

栗城氏は、こう答えています。

私は決して死というものが悪いものだ
とは捉えていません。

終わりがあるからこそ、
今があることに感謝し、
一所懸命生きることができると思うんです。

生きるとは、
長く生きるかどうかではなく、
何かに一所懸命打ち込んで、
そこに向かって命を燃やしていくこと
だと思います。

たとえ90歳まで生きたとしても、
夢も目標もなく、
何にもチャレンジしない人生はつまらない。


こう言っている栗城氏は、
8,000メートル峰を酸素ボンベなしの無酸素で、
それもグループではなく、
単独で登頂するという危険な登山に挑戦しています。

これについて栗城氏は、

死のリスクは低くなりますが、
私はそれをやるかといったら、
絶対にやりません。

それは安全で、
堅実であるがゆえに、
自分の力を100%出さなくても
登れてしまいます。


つまり、栗城氏は、
単なる記録をつくるために
登頂をしているのではないということです。

もし、自分の全力を出さないで
登頂に成功しても、
そこに価値はないと考えているわけです。

そして、栗城氏はこう続けます。


大切なことは、
登頂までの過程で、
いかに自分の100%を超えた、
110%、120%の未知なる領域に
辿り着けるかということです。


人が何かに命を懸けるということには、
自分の可能性の限界に挑み、
今この時に全力を集中すること、

そして、
その限界を突き抜けた先にある
未知なる頂きに到達して
初めて見えるものがあること、

それを知るためにあるのではないでしょうか。

日々の仕事は、
ヒマラヤ登山ほどの苦しさはありません。

しかし、一日の終わりに、
今日一日やったことは、
果たして命を懸けるに値していたのか、
そう問いかける必要があるように思います。

その答えが、イエスであり続けるような
生き方をしてゆきたいと思うのです。




一歩を越える勇気一歩を越える勇気
(2009/12/16)
栗城史多

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